今日はパスポートの更新に行った。
10年間で有効期限切れだからとっくに切れてた。
1997年 始めてアメリカツアーに行った時に発行したパスポートに
押された出入国のスタンプを眺めながら思い出に浸る。
出国のスタンプは10個あった。
7回のアメリカツアー
スウェーデンツアー
ノルウェーツアー
ハワイ(福引きで当たった)
記憶はどんどん消えて行って、
すっごく悪い事も、すっごく良い事も忘れる。
いつも私の記憶に残るのは、ちょっと切ないのと嬉しいのが
まざったような、ホットショッツの楽曲みたいな感じの思い出。
3度目のアメリカツアー
NRBQのテリー初プロデュースでレコーディングする予定だった。
テリーがLAにある豪華なスタジオを予約してくれた。
LosLobos、エミルーハリススターなんかが使ってるらしい。
すっごい所でレコーディングできちゃうんだ!私達!って
大喜びだった。
ところがツアーの1ヶ月前にベースのヒロシくんが
癌になったお母さんの看病の為、日本を離れられなくなる事を知る。
すぐに、ドラムのミウケンに電話をして事情を話すと、
実は福島に転勤が決まり、行けなくなってしまう事を聞かされる。
ミウケンは東京を離れてしまうし、アメリカツアーどころかバンド解散か?
テリーになんて言おう??っていうか本当に解散?
絶望。
いつも支えてくれてた、もとギタリストのエノッキーに電話で相談。
「う~ん、そっかぁ、それは大変だなぁ、でもさ、誰か変わりいないの?
行った方が良いよ!何としてでもさ、
大変だけど、チエちゃんこれを乗り越えたら、何かいいんじゃないかな?
良くなって行く気がするよ、うん。その先には何かあるよ。」
適当に言ってるようにも聞こえたけど、それに励まされ、
残るメンバーのギタリスト雄一郎に電話
「あのさぁ、こんな事になっちゃったけど、行くべきだと思うんだ。
あのテリーアダムスがプロデュースしてくれるって言うんだし、
いまさらごめんなさいなんて無しだヨ!
私絶対がんばるし、ヘルプでも何でもとにかくメンバー連れてくるし
がばろうよ。ついて来てくれるでしょ?ね?」
雄一郎は「う~ん。」とそっけない返事だけど
一緒に行ってくれる事になった。
つよがってたけど、本当は不安だった。
現地についてテリーに話したらがっかりするだろうな。
ホットショッツを気に入ってくれてたのに、半分ショッツじゃな~。
アメリカ入りしてすぐ、テリーにメンバーチェンジがあった事を話すと
「君が選んだメンバーであれば誰でも良いんだよ、君を信じてる」
って言ってくれた。
涙。
レコーディングが始まると今度はヘルプのドラマーが肺炎で病院へ。
中断。
そこに何故かアール・パーマーが遊びに来る。
アール・パーマーは1950年代にチャック・ベリーやら
エディ・コクラン、リッチーバレンス、ファッツ・ドミノなんかの
レコーディングでドラムを叩いてた凄腕スタジオミュージシャン。
8ビートってヤツもこの人が開発したと言わてるらし。
で、さっそくアールパーマがドラムを叩いてくれてレコーディング。
トラブルの後にすぐにこんなに嬉しい展開に。
「エノッキーありがとう!逆境を乗り越えると良い展開になるんだ!」って
心の中でエノッキーに感謝。
その後アルバムは無事全米リリースされ、メンバーも無事見つかり
ホットショッツの歴史も続き
沢山ハッピーでスリリングなツアーをするわけだけど、
何故かいつも思いだすのはこのツアー。
この思い出の中には亡くなってしまったヒロシくんのお母さんやら
福島に転勤なって一緒に演奏できなくなってしまったミウケン
との切ない思い出や、エノッキーとテリーからの温かい励ましやら、
文句一つ言わずにだまってギターを弾いてくれる私の右腕
雄一郎との信頼関係や、嬉しいハプニングやらもあって、
トキメキと切なさが入り交じってる。
ホットショッツの音楽ってこんな感じのイメージなんだよね。
次のパスポートも10年更新のにした。
10年後はどうなってんだろう。
1つ目の出国スタンプは来月予定。
テリーのバンドに参加する事になった。
10年間で有効期限切れだからとっくに切れてた。
1997年 始めてアメリカツアーに行った時に発行したパスポートに
押された出入国のスタンプを眺めながら思い出に浸る。
出国のスタンプは10個あった。
7回のアメリカツアー
スウェーデンツアー
ノルウェーツアー
ハワイ(福引きで当たった)
記憶はどんどん消えて行って、
すっごく悪い事も、すっごく良い事も忘れる。
いつも私の記憶に残るのは、ちょっと切ないのと嬉しいのが
まざったような、ホットショッツの楽曲みたいな感じの思い出。
3度目のアメリカツアー
NRBQのテリー初プロデュースでレコーディングする予定だった。
テリーがLAにある豪華なスタジオを予約してくれた。
LosLobos、エミルーハリススターなんかが使ってるらしい。
すっごい所でレコーディングできちゃうんだ!私達!って
大喜びだった。
ところがツアーの1ヶ月前にベースのヒロシくんが
癌になったお母さんの看病の為、日本を離れられなくなる事を知る。
すぐに、ドラムのミウケンに電話をして事情を話すと、
実は福島に転勤が決まり、行けなくなってしまう事を聞かされる。
ミウケンは東京を離れてしまうし、アメリカツアーどころかバンド解散か?
テリーになんて言おう??っていうか本当に解散?
絶望。
いつも支えてくれてた、もとギタリストのエノッキーに電話で相談。
「う~ん、そっかぁ、それは大変だなぁ、でもさ、誰か変わりいないの?
行った方が良いよ!何としてでもさ、
大変だけど、チエちゃんこれを乗り越えたら、何かいいんじゃないかな?
良くなって行く気がするよ、うん。その先には何かあるよ。」
適当に言ってるようにも聞こえたけど、それに励まされ、
残るメンバーのギタリスト雄一郎に電話
「あのさぁ、こんな事になっちゃったけど、行くべきだと思うんだ。
あのテリーアダムスがプロデュースしてくれるって言うんだし、
いまさらごめんなさいなんて無しだヨ!
私絶対がんばるし、ヘルプでも何でもとにかくメンバー連れてくるし
がばろうよ。ついて来てくれるでしょ?ね?」
雄一郎は「う~ん。」とそっけない返事だけど
一緒に行ってくれる事になった。
つよがってたけど、本当は不安だった。
現地についてテリーに話したらがっかりするだろうな。
ホットショッツを気に入ってくれてたのに、半分ショッツじゃな~。
アメリカ入りしてすぐ、テリーにメンバーチェンジがあった事を話すと
「君が選んだメンバーであれば誰でも良いんだよ、君を信じてる」
って言ってくれた。
涙。
レコーディングが始まると今度はヘルプのドラマーが肺炎で病院へ。
中断。
そこに何故かアール・パーマーが遊びに来る。
アール・パーマーは1950年代にチャック・ベリーやら
エディ・コクラン、リッチーバレンス、ファッツ・ドミノなんかの
レコーディングでドラムを叩いてた凄腕スタジオミュージシャン。
8ビートってヤツもこの人が開発したと言わてるらし。
で、さっそくアールパーマがドラムを叩いてくれてレコーディング。
トラブルの後にすぐにこんなに嬉しい展開に。
「エノッキーありがとう!逆境を乗り越えると良い展開になるんだ!」って
心の中でエノッキーに感謝。
その後アルバムは無事全米リリースされ、メンバーも無事見つかり
ホットショッツの歴史も続き
沢山ハッピーでスリリングなツアーをするわけだけど、
何故かいつも思いだすのはこのツアー。
この思い出の中には亡くなってしまったヒロシくんのお母さんやら
福島に転勤なって一緒に演奏できなくなってしまったミウケン
との切ない思い出や、エノッキーとテリーからの温かい励ましやら、
文句一つ言わずにだまってギターを弾いてくれる私の右腕
雄一郎との信頼関係や、嬉しいハプニングやらもあって、
トキメキと切なさが入り交じってる。
ホットショッツの音楽ってこんな感じのイメージなんだよね。
次のパスポートも10年更新のにした。
10年後はどうなってんだろう。
1つ目の出国スタンプは来月予定。
テリーのバンドに参加する事になった。